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たくみにしかわ バターラスク

【コラム】小さくても美味しいパンを目指して。

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こんにちは。「ニシカワ食品広報室」です。
PANPAKさんのメディアをお借りしての展開も2回目。
こちらでは、パン好きの皆さんに私たちニシカワ食品のパンに関する活動や考え方をお伝えするべく、いろいろなテーマでコラムを書いていきたいと思います。

新製品の情報や厳選素材、製法や商品誕生のエピソード、そして私たちの食への想いなど。わかりやすく、興味深くご紹介していきたいと思いますので、よろしくおつきあいくださいませ。

創業の頃はとにかく物不足でした。

ニシカワパンが創業した昭和22年(1947年)頃の日本は戦後の復興の歩みを始めたばかりで、食べ物も燃料も、おおよそ生活に必要なものすべてに不自由する時代でした。

どれぐらいものが不足していたかというと、主食のお米が無いので、山を開墾したり学校の運動場を耕したりしていたるところに畑を作り、芋や南瓜、とうもろこしなどを代用食として栽培。調味料なども不足しているため、それらを焼いたり煮たり蒸したりして毎日の食事にしていたそうです。

他にも、そば粉とコンニャク粉を混ぜた麺が登場したり、変わったところだとお米の代わりにオカラを握ってお寿司があったりと、当時のお話を見聞きすると人間の努力と食への探究心に心打たれます。

そんな風にとにかく、みんなお腹を空かしている時代でしたから、当時のパンは「味」よりも「量」が魅力でとにかく「大きいパン」が好まれていました。

食べられるものならなんでも売れる。美味しさや質はあまり問われない。お腹が膨れればそれでいい時代でした。

小さくても美味しいパンを目指して。

しかし、創業当時のニシカワパンが掲げたのは「その日に手に入る最高の素材を使ってパンを焼く」というもの。「小さくても美味しいパン」をたくさんの人に食べて欲しいという願いから「大きさ」よりも「美味しさ」に舵を切り、資源が枯渇して電気も供給制限があったので、レンガで窯を築いて薪でパンを焼き始めました。

創業者の西川隆二は、当時統制品だった小麦の確保に力を尽くし、家族はお店に立ちながら、京都から呼んだ職人さんを中心に、親類縁者みんなでパンを作る毎日。

こだわりを持って、手を抜いたりせず、美味しいものを作る。この想いは現在も受け継がれ、私たちニシカワ食品の食への取り組みの柱となっています。

懐かしいお話しは尽きませんが。

終戦間も無く、加古川駅前に創業して焼き続けた「小さくても美味しいパン」は、戦後の復興期から昭和の高度経済成長期へと力強く歩みを進める人々と共に時代の波を越え、たくさんの物語が生まれました。大ヒット商品秘話やパニーちゃんの登場など、お話ししたいエピソードは尽きませんが、そろそろ文字数がいい感じになってきたので、それはまた次の機会に。

次回は、ニシカワパンから生まれた新ブランド「たくみにしかわが目指すもの」と題して、「たくみにしかわ」の製品や取り組みなどをご紹介させていただけたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

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